library

ライブラリ-
TOP ライブラリー クライアントインタビュー トップインタビュー CSN地方創生ネットワーク株式会社 代表取締役 野本 良平 氏

トップインタビュー

CSN地方創生ネットワーク株式会社 代表取締役 野本 良平 氏

2016年最初のトップインタビューは、「流通の革命児」として、TBS系列「夢の扉+」等、多くのマスメディアに取り上げられ、今、話題の経営者であるCSN地方創生ネットワーク株式会社(http://www.chihousousei.co.jp/)の野本良平代表にお願いいたしました。既存魚市場を介さない漁師の方々との直接取引で、その日採れた魚がその日のうちに都内の小売店・飲食店で並ぶ「朝どれ」を実現する『羽田市場』を運営する同社の過去・現在・未来についてお聞きしました。

代表取締役 野本 良平 氏

CSN地方創生ネットワーク株式会社

代表取締役 野本 良平 氏

1965年11月23日 千葉県出身
1987年株式会社東洋食彩専務取締役
2000年株式会社デリカネット・ジャパン代表取締役
2003年四川徳利佳食用菌開発有限公司董事長
2006年株式会社銚子丸常務付経営企画担当
2009年株式会社エー・ピーカンパニー取締役副社長
2013年株式会社柿安本店常務執行役員
2014年10月CSN地方創生ネットワーク株式会社設立、代表取締役に就任、現在に至る

抜田 誠司

インターウォーズ株式会社

インタビュアー 抜田 誠司

食品メーカーを経て、黎明期の外食FC本部に参画。研修・業態開発・営業企画等の責任者を歴任。その後、小売業等の新業態開発・外食業態のリブランディング・物流/購買改善等のプロジェクトに携わり、2007年から現職。

抜田 誠司(以下、抜田)まず、野本代表ご自身のことを教えて頂けますでしょうか。ご実家で仕事を始められたのですね。

野本 良平 氏(以下、野本):実家が業務用の食品問屋をやっていました。で、私が大学浪人中に父親が倒れたんです。そしたら、突然おふくろが「免許取っていいよ」と。喜んで取りに行ったら、免許を取った翌日から、いきなり家のトラックに乗ることになって。人手がなかったんですね。そのまま抜けられなくなってしまいました。

免許を取って少し経ってから、カーナビを買ったのですが、行き先を入れたら出ないんですよ、自宅が。近すぎて。1年間、家とパチンコ屋と会社の間しか動いてなかったんです。良く考えたら、いつも同じ格好をして、半径1kmくらいで生活してる。「これはやばいな、人間として」と、ナビを見て気が付きました。翌日スーツを買って、外回りの営業を始めたら、意外と売れて、やっているうちにどんどん面白くなってきて、売上も一気に大きくなりました。

ただ、問屋は将来がない。やっぱりメーカーにならなければダメだと思い、タケノコの水煮の製造を始めたんです。これが大手スーパーと大手コンビニで採用されて、大変な量のオーダーを独占的に頂きました。2年後に習志野の工業団地に工場を建て、その後、隣に第2工場も作りました。伸び盛りの外食企業から多くのご注文をいただくことができ、今もそこが実家の売上を支えています。

野本 良平 氏

抜田その後、銚子丸社へ?

野本1998年頃、中国で原材料を買い付けて、日本で加工するということをやっていたんですね。当時、初めて、堀り立てのタケノコの味をそのままに冷凍できる技術を開発したり、冷凍の松茸を扱うなどして、業績が大きく伸びました。それもあって、そのまま中国の工場をやることになって、一旦実家を辞めて、中国で原料の売り買いをやりました。

その後、日本に帰って来ていろんなところから誘われたんですけど、昔のお客さんだった方が取締役営業本部長でいたグルメ回転寿司の銚子丸社に入り、主に商品部門を担当し、約2年間お世話になり、その間にジャスダック上場。その後、人材エージェントからエー・ピーカンパニー社の社長と会ってみないかと声がかかりました。

抜田エー・ピーカンパニー社のどこに魅力を感じて入社されたのでしょうか。

野本2000年位から、次の飲食業態は、漁師が自分で魚を穫って自分で刺身で売るとか、自分で鶏を育てている人が焼鳥屋をやるとか、そういう時代に間違いなくなると思っていたので、エー・ピーカンパニーの米山社長が養鶏場を持っているというのが面白いと思ったんです。約半年後に副社長になったのですが、そこまでに仕入れ経費を大きくコストダウンしました。

その後は、配送センターを作り、物流を集約化し、宮崎の農場を立て直し、セントラルキッチンを作って、作業を組み替えました。そこから塚田農場の人気が出て、ぐーっと会社の業績が伸びました。その結果、3年・4年でマザーズ上場まで来て、非常に良い経験をさせて頂きました。

野本 良平 氏

抜田その後、創業されたんですね。なぜ起業という選択肢を取られたのでしょうか。

野本エー・ピーカンパニー社の後に、1年、ジャスダック上場の柿安本店社の常務執行役員を務めました。今の会社は2014年10月28日に立ち上げました。最初はコンサルティングをしていたのですが、自分はコンサルティングで誰かと誰かを繋げるというより、直接入って行かないと気が済まないタイプなので、実業をやろうと。やはり一次産業を活性化させる仕事、そこにしか興味がなかったですね。

抜田地方創生の動きも後押しになりましたか。

野本今、国が盛んに地方創生と言っているのは、道の駅や箱もの(施設)を作って、そこで地産地消とか、消費を喚起して潤ってもらおうという話じゃないですか。自分は年に100日船に乗って、海だけでなく山にも行っていますが、自分の実感では、それで地方創生はありえないです。

道の駅を何億円かけて作ったって、そこで買う人がいない。それに、例えば道の駅で茄子を7本100円で売っている。作った農家の手取りが70円。収穫までの手間を考えたら、ほぼボランティアでしかなく、産業として成り立っていない。だから子供も継がなくて、一次産業が疲弊していく。このままでは農家も漁師もいなくなると言われているのは、それが原因ですよね。やっぱり100円の茄子を350円とか400円で売らないと。

農家の顔が見えて、安心安全なものを作っているのに、そのことには誰も目を向けないんですよ。だから、自分もコンサルティングなんかをやっている場合じゃなくて、農家のものを買い上げて、東京で高く売るにはどうしたらいいかを考えたいと。

抜田高く売るには何が必要なのでしょうか。

野本それは付加価値です。魚は特に鮮度が価値なので、鮮度の良いものを地方から持って来れば、首都圏で高く売れます。いい魚をいい状態で東京に飛行機で運ぶ。地方は旬の良い魚が取れるのに値段が安いんですよ。美味しくて安いものを早く東京に運べば、高い値段で売れるという理屈なんです。それで築地の半値ですよ。こっちは「朝どれ」で、築地は2日目・3日目のもの。どっち買いますかと言ったら、絶対「朝どれ」ってなりますよね。漁師さんも儲かる、飲食店さんも鮮度のいいものが例えば半値で買える、一般消費者もリーズナブルに新鮮な旬の魚を食べられる、我々も儲かる。漁師さんからダイレクトに買って納めれば、顔が見えますしね、トレーサビリティの問題も安心安全なんです。

これから5年位経った時に、羽田市場に魚を送るようになった漁師さんの景気が良くなって、船を買い替えたり、家を建て替えたりして、それを見ていたサラリーマンだった息子さんが「漁師を継ごう」となると良いなと思っています。何と言っても、「漁師」を稼げる、収入が安定する職業にしないと。今、跡継ぎいないですからね。

超速鮮魚 羽田市場

抜田それを実現させるのが「羽田市場」で、その実現のためには、羽田空港に仕分・加工センターがある必要があったのですよね。

野本はい。エー・ピーカンパニー社の時に、漁師さんから直接買って、飛行機で運んで、夕方に食べられるという居酒屋業態が当たったんです。自分がインフラを作れば、大量の魚を流せるので、まずそれをやろうと。

当時は空港内には作れず、羽田空港から車で15分くらいの所に加工センターを作ったんですね。そこでやってみてわかったのは、飛行機が着いても、すぐ荷物を受け取れない。朝の9時に羽田に着いているのに、11時にしかセンターに来ない。そうすると15時までにお店に届けるのは無理なんです。その時、結論が出たのは、店舗を100、200と増やすにはここでは対応できない、やれるとしたら羽田空港の中だけだと。そうと決めたら、空港と交渉です。当時は交渉に行って断られましたが、再度強烈にアタックし、今回は空港内に仕分センターを構えさせていただくことができました。

加工センター

抜田「中間流通を無くす」と言うのは簡単ですけど、実行・実現するのは、並大抵ではなく、数多くの障害もおありだと思います。なぜ野本代表には実現できたのでしょうか。

野本10年前の自分だったら難しかったと思います。もう、この世界を30年やってるんです。食品製造も、流通も、商社も、小売り・外食も全部やってきたからこの流れが作れたのかな。あとは信頼感というか、おこがましいんですけど、水産業界でこんな仕事しているのは、自分一人しかいないので、知名度は結構高いんですよね。なので、漁師さんの開拓がしやすいんです。

抜田御社のビジネスの強みはどこにあるのでしょうか。

野本何といっても、漁師さんが味方についている事。跡継ぎがいない、儲からない中で、一番漁師さんが疲弊しています。みんなこのままではいけないと思っていても、何をしたらいいのか分からない。うちとやることで、そんな漁師さんが、希望や、やりがいも持てるんですよね。お金だけじゃなくて、自分が穫った魚を一般消費者が美味しいって言ってくれていることを伝えると、全然違いますよね。

抜田売り先を先に確保するのか、仕入れ先を先に確保するのかという話になると思うのですが、仕入れ先、つまり漁師さんとの関係性が重要ということですね。

野本その通りです。ここが良くないと結果的に消費者が満足しません。魚は獲った(漁師さん)段階で、8割品質が決まるんです。

何故、自分が100日も船に乗っているかというと、漁の現場を見ないと買えないからなんです。魚を暴れさせないで、締めてきっちり冷やし込むとものが全然違うんです。でも、漁師さんはみんな一国一城の主なので、横のつながりはあれど、ノウハウの情報共有はできていない。そこで自分が乗って、もう少し氷を多くしてくれとか、水を入れた方がいいとか、魚の締め方とかを伝えているんです。

これからの漁業は、たくさん穫ることじゃなくて、穫った一匹をいかに高く売るかを、漁師さんが自分達で考えていかないと。これからは魚がそんなにたくさん穫れないですからね。

魚模型

抜田御社の競合はどこになるのでしょうか。

野本ないです。ただ、日経新聞に書いて頂いたんですが、2016年豊洲に移る築地市場、大田市場があって、羽田市場がある、三つ巴戦になると。規模感が違うのでおこがましいですが。築地、大田と並べて書かれたのは嬉しいけれど、まだ早い。これからです。

抜田野本代表が経営において大事にしていること、判断基準について教えてください。

野本とにかくスピード感を大事にする。自分がせっかちなので、すぐ決めないと気が済まない性分なのかもしれません。過去において、ビジネスの判断をするのに時間をかけて良かった覚えがないんですよね。自分の経験値とか、においとかで判断していると思うんです。ほとんど直感ですね。

抜田今後の目指す姿はどのようなイメージですか。

野本既存の今ある魚市場の進化形です。BtoCでいうと、水揚げ情報を一般消費者が知る事ができて、その魚の刺身を食べられる状態を作り上げる。それはインフラのシステムも含めてで、実は仕組みの理想型は出来上がっているのですが、それをいかに早く具現化、実現化するか。これからですね。

あと、今ある魚屋さんをもう一度復活させたいというのもあるんです。うちには築地市場にはない「朝どれ」の魚がありますから、例えばそれをLINEやSNSで流すと、一般消費者が朝その情報を見て、イカのスタンプを送る。そうすると最寄りの魚屋さんに取りに行けば自分のお皿にイカ刺を盛ってくれて、「朝どれ」のイカが自宅で食べられる。これってイカのスタンプを除けば、全部うちで実現できるんです。首都圏に15時までに届けられる足回りを持っているので、魚屋さんに15時に届いて、魚屋さんはそこから刺身にして、注文出した主婦が17時に取りに行く。我々も加工センターでおろさず、そのまま出せるメリットがあり、街中の魚屋さんの復活もできます。そのプロト店舗をうちで作りたいんですよね。

野本 良平 氏

抜田海外事業についてはどのようにお考えですか?あくまでも日本で穫れたものを海外に輸出するという考え方でしょうか?

野本はい。魚の穫り方一つ取っても、日本と海外だとものすごく差があるので、そう簡単に埋められないんですよ。例えば、日本は基本全ての漁船が刺身で食べる前提で魚を穫りに行きますが、海外は、魚は火を通して食べるものなので、真夏の炎天下でも氷を積まないし、獲ったら甲板の上に置く。船や網の造りも違うし、漁師の考え方そのものが違う。海外の漁師が、これは刺身で食べるためと考えられるようになるには、相当な時間が必要なのと、和食ブームにならないと無理ですね。

抜田今ほどお話頂いたビジョン=野本代表個人の夢なのでしょうか。

野本そうですね。新しい流通を作りたい。おこがましいですけど、作れるのは自分しかいないと思っているので。

抜田最後に野本代表自身も何度か転職されていて、上場企業の役員を複数社で担ってこられましたが、転職をお考えの経営幹部の方々にアドバイスをいただけますか。

野本転職は絶対した方がいいと思います。一つの会社でやってきた事って、そこでしか通用しないので。いろんな視点で物事を考えられるようになったり、より経営者に近い立場で仕事をしたいと思うのであれば、いろんな経験値がある方が絶対良いです。

抜田長時間ありがとうございました。

インタビュー画像

今も年間100日は漁船に乗られるという野本代表。ストレート且つフランクなお人柄で、頂戴していた時間も大きくオーバーしていた中、色々とお話いただきました。
今後、大手小売・大手外食チェーン等との取り組みも広がり、益々我々の身近になるであろう「羽田市場」。お取引先様としてはもちろんのこと、一消費者として、とても楽しみです。
野本代表、この度はありがとうございました。今後とも、末永く宜しくお願いいたします。